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イウナレバー
二次創作とかのテキスト。(一部の)女性向け風味かも。
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※BLです
※ユーザは頭のおかしいリリカルホモです
※ユーザっていうかただのオリキャラ
※終夜さんは頭のおかしい引きこもりです
※終夜さんっていうかもう誰だよお前
※BLです

※ヒント…キスの日

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BLなのでワンクッション。本文は続きに投げ込んであります。
終夜さんの台詞の一部は、公式から部分引用したものです。
エロとかはありませんが、やたらめったら長いです。

よろしければどうぞー。

 初めて会った時は、もっとまともな奴だった。と、思う。
 同じ学校の同じクラスに在籍していたし、身長も近いから、背の順に整列する時に「ごめんかかと踏んだ」「いいよ気にしないで」くらいの会話は交わしていたような気がする。しかし交友を深めるという程のことはなにひとつなかった。僕ですらも一目でそれとわかる程度に、彼はまともだったのだ。教室の隅で目線に怯えるのが僕の立ち位置だったとしたら、彼は僕を怯えさせる、世間の目という奴を持っている側の人間だった。誰かに見て欲しいと思うまでもなく見られていて、誰かに見られたくないと思うような場所は小器用に隠せて、救われるまでもなく上段に構えることのできる、当たり前のことを当たり前にこなす、まともな人間。そんな当たり前をこなす事もできない僕を見下して、嘲笑っている側の人間。
 僕が学校へ行くのをやめてからの配布物を家へ持ってきているのが彼だと聞いた時、真っ先に湧き上がってきたのは嫌悪感だった。家が近いくらいの理由でよく知りもしない気持ちの悪いクラスメイトの家なんかをわざわざ訪ねさせられた彼は、配布物を届け終えた後できっと彼の友人知人と僕の悪口で盛り上がるに違いない――なんて、頭の中は部屋の外で起きていることへの想像で一杯になってしまう。彼の名前を聞くだけでも、部屋の外に厳然としてある世界を意識してしまうには十分に過ぎた。せっかく僕は僕の部屋で誰の視線にも晒されない幸せと絶望に浸ることができているのに、彼の名前はそれを台無しにするのだ。それだけでもどうしようもなく不愉快であるというのに、彼は追い討ちをかけるかの如く、更なる不愉快を僕に与えてきた。
 僕の部屋に足を踏み入れたのだ。
 一声掛けられるような前振りもなく鍵を開く音がしただけでも、僕にとっては息を呑むほどのイレギュラーだった。続いて開け放たれた扉の向こうにほとんど会話したこともないような同級生の姿を見た瞬間、僕は何かを考える余裕すらなく、即座に罵声を口にしていた。
「見ないで見ないで僕を見ないで見ないで僕を気持ち悪い僕を見ないで嫌だもう気持ち悪い吐きそうだいやだこんな姿気持ち悪いだって誰も僕を見てくれない気持ち悪い僕いやだいやだこんなのはもう助けて君が助けて助けてくれないからしにたいしにたいしにたいしにたいころしてはやくころしてしにたいきもちわるいきもちわるいきもちわるい!」
 感情が昂ぶるあまりに自分でもなにを叫んでいるのか分からなくなるのはいつものことだが、なにしろその時は非常に気が立っていた。僕にとっての安全地帯だった部屋の中に他人が侵入してくるのは初めてだったのだ。それも僕とはいかにも分かり合えることがなさそうな、いかにも人生を楽しんでいますといった風体の学生が相手である。一刻も早くその視線から逃れようと、僕は手元にあったものを適当に引っ掴み、持てる全力で彼に向けて投げつけた。
 投げたのは、ナイフだった。
 なんでそんなものが僕の部屋の中にあったのかは自分でもよく分からないのだが、確か部屋に引き籠もるのを認めてくれなかった親と言い争う時に刃物を持ち出したような気がするから、その時のまま、回収しないで放置していたのかもしれない。もちろんナイフ投げの訓練なんてしたことはないから、ただ投げつけただけのナイフは彼から大幅に逸れた。しかし、火事場の馬鹿力という奴だろうか? 少年漫画さながらに刃の先端を前にして真っ直ぐ飛んだナイフは、彼の顔面の右側一メートルほどのところを通過し、壁に深々と突き刺さった。
 彼が、ゆっくりと右側を振り返る。壁に刺さるナイフをまじまじと眺めて、それから、また僕の方を見た。特に驚きの色は見えない表情だったけれど、ナイフと僕の間を忙しなく行き来する視線は、十二分に彼の動揺を表している。
 そのまま部屋から出て行くだろうと思った。何しろ刃物だ。刺さったら血が出るし、場合によっては命も失う。さっさと部屋から出て行って、それで、二度と僕の部屋に入ろうなんて誰もが思わなくなればいい。
 だから早く行ってしまえと、ありったけの敵意を込めた目で彼を見る。僕の方へ向いていた彼の視線と僕の目線がかち合った、その瞬間のことだった。
「――っ、あは」
 彼の口から、笑い声が漏れた。
「あはははは、あははははははは! あはははは! え、ええ、なにそれ! なんだそれー! あはははは! すごいなお前! うちの親の修羅場ですらこんなん見たことねえよ! お前、あはっ、面白いな! 面白い! すっごく面白い! うわすげえ、マジで刺さってる! うわー、うわあ! 漫画みたい! すっげ! あはははははは! アハハハハハハハ!」
 絶句する僕の前でひたすら爆笑し続ける彼の姿は、今でも昨日のことのように思い出せる。下手をすれば死ぬ時の走馬灯にすら映るかもしれないくらいの、衝撃的な出来事だった。
 とてもじゃないが、こんな奴には見えなかったのだ。自分に向かって飛んできた刃物に怯えもせず、どころか面白いと心の底から楽しそうに大爆笑するような奴だったなんて、思いもしなかった。こんなに頭がおかしいのに、どうしてあんなにまともな人間を装っていられるんだろう。
 彼が何を考えているのか、ほんの少しも分かる気がしない。
 ああ、人間は怖い生き物だ。誰がなにを考えていて、どういう基準で動いているのかなんて、まるで理解が及ばない。僕も気持ち悪いけれど、人間はもっと気持ち悪い。こんな意味の分からないものが作り上げている世界には、もう二度と足を踏み入れたくない。自分の世界に閉じこもろうという決意を新たにした僕は、その後も部屋に一人で蹲り、呼吸をしている死体のような生活を送っていた。
 彼が、僕の部屋を訪ねる時以外は。
 初めて僕の部屋に上がりこんできたその日から、彼はなんの遠慮もなく僕の部屋の扉を開けるようになってしまった。僕が嫌ってやまない外の空気を全身から振りまく彼が部屋にやってくるのだから、僕の安穏とした精神状態はぐちゃぐちゃになる一方である。一応ことあるごとに「一刻も早く帰れ」と怒鳴っているはずなのだが、心底早く帰ってほしいという僕の思いに気がつく様子もない彼は、溢れ出す苛立ちを叫び散らす僕をいやに楽しげな目で眺めた後、満足そうに部屋を去る。一体なにに満足しているんだ。他人に見られていると思うだけで吐き気がする僕への嫌がらせか? そんなに僕の吐瀉シーンが見たいのか?
 一向に部屋から出る気の起きないでいる僕を尻目に、彼は順調に高校を卒業して地元の大学に進学した。しかし、彼は今でも足繁く僕の家を訪ねている。届けるべき配布物があるわけでもないし、僕は会う度に早く部屋を出て行くよう喚き散らしているはずだし、あれ以降ナイフ投げを実行することだって一度としてないにも関わらず、週に二回は家へ来る。テスト期間やレポートの提出直前には半月ほど来なくなることもあったが、しかしそれ以外では毎週訪ねてきやがるのだ。
「さっきお前の親御さんに、俺が来るとお前が元気になるってありがたがられちゃった。いやあ親御さんにまで喜んでもらえてうれしいよ」
 彼からそんな話を聞かされた時には、あまりのことに絶句した。
 断言してもいい。僕が彼の姿を見て元気になったことなんて、一度としてない。
 親の思考を推測するに、部屋へ籠もりっ放しでいながら特に騒ぐでもなく一人でいる幸せを噛み締めたり一人でいる寂しさに絶望したりしている僕が、彼が訪れるたびに帰れ死んでしまえいやむしろ僕が死ぬ殺してくれと喚き立てているのを持ってして「元気になる」と感じたのだろう。もちろんそれは元気が出ているのではなく、ただ穏やかな心持ちではいられなくて激情のままに叫んでいるだけのことだから僕としては正直まったくありがたくないし心の底から来ないでほしい。ていうか「親御さんに『まで』喜んでもらえて」ってどういうことだ。他に誰が喜んでいるっていうんだ。念のために言っとくけど僕は全く喜んでないぞ。
「訳の分からないことを言う舌を切り取ってしまいたかったんだ僕に通じない言葉ならいらないのに意味がないのに気がつくと耳障りな言葉は僕以外には通じていて笑いあっていてきっと間違っているのは僕なんだねあははは僕だけが仲間外れ!」
「よく息が続くね」
 小さく拍手までされてしまったのだが、これはもしかして褒められているのだろうか。人から褒められているかもしれないと言うのに、こうまで嬉しくないというのも我ながら不思議だ。褒めそやす暇があったらさっさとこの部屋を出て行ってもらいたいものである。僕の部屋なんてただ僕が落ち着けるという以外には何の特徴もない場所であって、僕以外の人間にとっては入ったところでなにひとつ面白いことなんかないはずなのに、どうしてわざわざ上がりこんでくるのだろう。今の僕には理解できないし、今後理解できるようになる予定もない。
 そんな僕の中の困惑を言葉にして吐き出すと、彼はいっそ自慢気なくらい楽しそうな表情で口を開いた。
「お前は十分面白いよ。なんかもー全体的に意味分かんなくて、飽きないし」
 返ってきた答えは、僕を納得させるには到底至らないものだった。それどころか、彼が何がしかの勘違いをしているようにさえ思えてくる。「全体的に意味分かんなくて」という点が面白さの基準であると言うならば、僕よりも彼の方が、ずっと「面白い」人間だ。
 いつのことだったか、部屋に入ってきた彼を「外の臭いがして気持ち悪いから入ってくるな」というようなことを言って出迎えた瞬間、ひどく怪訝そうな顔をされたことがあった。大抵は何を言っても暖簾に腕押し、にやにやと嫌な笑いを浮かべている彼のことだったから、一体今の言葉の何が彼を訝しがらせるのに成功したのかと胸をときめかせた記憶がある。彼は神妙な面持ちのままで、「おかしいな」と小さく零した。
「こないだも臭いって言われたから、今日は風呂入ってすぐ来たんだけど……」
「…………」
 もちろん僕が気持ち悪いと言ったのは、単なる悪臭がどうこうということではない。僕しかいないはずの僕の部屋に、僕以外のものの臭いがあるのが気持ち悪いという話である。他人の家に上がりこんだ時にその家独特の臭いがするのと同様、外から来た人には部屋とは違う臭いがついている。彼が部屋の中にいるという事実だけでも気持ち悪いのに、部屋の中にはない臭いまでするのだから、気持ちが悪くて仕方ない。外の臭いは腐った臭いだ。腐っていない僕には耐えられるものじゃないから、もうさっさと帰ってくれ。
 という旨を早口にまくし立てた僕に、彼は「なるほど」と頷いて見せた。そして少しの間だけ考えるような間をとってから、持ち込んでいた鞄を片手に、ゆっくりと立ち上がる。もしやこれは帰ってくれるのではないかと期待した僕の心情とは裏腹に、彼の足が向かったのは扉とは真逆の方向だった。その先には特に何もない。強いて言うなら窓と、窓ガラスと、カーテンがあるくらいだ。
 やがて立ち止まった彼は、鞄からなにか、小瓶のようなものを取り出す。
「これ、香水ね。こないだ通販で買ったの」
 こっちを見もしないわりに親切な解説を寄越して、香水の蓋が外される。――臭いと言われたから香水をつけてごまかそうと、そういうことなのだろうか? しかしさっき僕は、例えどんなにいい匂いであっても部屋の匂いと違うならみんな気持ち悪く感じるんだという話をしたばかりだ。人の話を聞いていなかったのか。相手の話を聞くなんて小学校で習うくらいの基礎的なこともできないなんて、人間としてどうかと思う。
 半ば以上呆れながら眺める僕に目もくれないで、彼は香水を吹き付けた。
 彼ではなく、カーテンに。
「…………」
「…………」
 最初から香水はカーテンにかけるために作られたものなのだと言わんばかりの勢いで、彼はカーテンに満遍なく香水を吹き付けていく。ちょっとかけすぎだろうというくらいに吹き付けていく。一頻り吹き付けきると、次は部屋の壁紙へ吹きつけ始めた。
 ファブリーズかなにかのCMさながらな展開について行けず呆然としている間にも、僕の部屋には比喩でもなんでもなく吐き気と胸焼けを引き起こすような甘ったるい匂いが霧散していく。なんといったらいいのか――部屋中にハーゲンダッツのバニラを塗りこめたような、バニラエッセンスをうっかりぶちまけてしまったような、要するに鼻を突くようなバニラ臭が部屋いっぱいに立ち込める――いやいやいや何の匂いかなんて考えてる場合じゃないぞ僕!
 他所様の家でなにしてんだ馬鹿、と取り押さえるべく飛びつきに行くと、今度は僕に香水を吹きつける。それがまた狙い済ましたかのように僕の首筋を直撃して、急に感じた冷たさに悲鳴を上げたら爆笑された。死ね!
「いい匂いでしょ。本当は女の子用なんだけどさあ、ほら、俺バニラアイス好きじゃん? これしかないなって思って」
 友人でもない男の好きなお菓子というこの世で最も無価値な情報を聞かされながら、僕は歯噛みして彼を睨んでいた。視線で人が殺せたならもう彼の命は五回ほど失われているだろう勢いで睨んでいた。
 しかし僕の刺すような視線に気づかなかったらしい彼は、特に表情を変えることもなく、自分自身にも香水を付ける。カーテンや壁紙には匂いをつけるというより湿らせるのが目的なんじゃないかと思うくらいたっぷりとかけていたのに自分自身へは至って適切な分量を吹きかけている辺り、中途半端にまともでなんかもうよく分かんない。
 何をしたいのか分かんなさすぎて沈黙する僕に、彼は満面の笑顔を見せた。
「これで部屋と同じ匂いでしょ」
「…………」
 そういう問題じゃないと強く強く思ったけれど、その笑顔を前にしてはもうなにを言っても分かってもらえる気がしない。僕は口を噤んだまま、噎せ返るようなバニラ臭を耐え抜くことに専念する。
 挙句その翌日には、「香水だとカーテンとかは変色しちゃって良くないんだって」と言ってわざわざルームフレグランスミストとかいうものを買ってくる謎の気合まで見せていた。僕の部屋専用らしいが、僕はそんなものを買ってきてくれと頼んだ覚えはない。当たり前のようにバニラフレーバーを選んできたが、僕はその匂いが好きだと言ったことは一度もない。その気合とお金を、どうしてもっと他のところに使わないんだろう。
 こうしたとてもじゃないがまともとは言えない所業を目にしてきた結果、僕は一つの結論に至った。彼の行動に関しては、考えるだけ全てが無駄だ。意味が分からないものは、もう諦めて放っておくしかない。口で言っても聞かないし、力ずくで止めるにも、引きこもりと一般的大学生では体力に溝がありすぎる。だから彼が来るたびにいそいそと僕の部屋をバニラの匂いでいっぱいにするようになってしまっても、僕は完全に無抵抗。彼の存在を一切無視して、胸の内に溜まったもやもやを誰にともなく呻き続けるばかりである(あー外に出たくないなーとか、もう頼むから誰か殺して欲しいなーとか、誰が聞いてくれるわけでもないのになんでこんな必死になって叫んでるんだろうなーとか)。もういい、好きにしてくれ。僕はもう諦めた。
 だからそう、意味の分からなさで言えば、僕よりも彼のほうがずっと意味が分からない人間だ。他人の家で許可なく香水をぶちまけたり、入ってくるなと言われている部屋に入ってきたり、ナイフを投げつけられて喜んだり、あまつさえ用事もなく通い詰めたり。その上、彼自身はまるでどれも理に適った当たり前の行動ばかりだと言わんばかりの態度で行っているのだ。そんな彼が僕を指して「意味分かんない」だなんて、ジョーク以外のなにものでもない。
 ああでも、どうなんだろう。人間なんて意味の分からない生き物だと思うけれど、その中でも特に意味の分からない人間である彼が意味分かんないっていうくらいだから、僕は特別意味の分からない人間なのかもしれない。「だとしたらまともなのは彼で彼を理解できない僕が間違っていてああそうか僕が誰からも理解してもらえなかったのはみんなにとっての彼が僕にとっての彼よりも気持ちの悪い奴だったからなのかそれなら理解を得られるわけもないねあははは死にたい!」
「世の中、理解されない方が箔がつくってことも――、ん?」
 相変わらずの適当な励ましは、けれど僕が苛立ちを覚える前に中断された。部屋の扉を叩く音がしたせいだ。恐らくは僕の母親だろう。応対のために部屋を出て行った彼が戻ってきた時、彼の手にはバニラアイスの姿があった。
「アイスだー」
 例を見ないくらいに彼の目がきらめいているところを見ると、バニラアイスが好きというのはどうやら心からの言葉だったようだ。部屋にいるのは二人なのに届けられたアイスが一つしかないのは、僕が先日バニラアイスを食べるかと訊いてきた母親に「バニラアイスは当分いらない」と答えていたからだろう。毎日のようにバニラの匂いを嗅がされた結果、匂いで思い出して食べたくなるなんていう次元はとっくに通り過ぎ、完全に鼻が飽きてしまっているのだ。
 しかし夏ではあるけれど、この部屋自体は地球を温暖化によって滅ぼすためにエアコンの設定温度を相当低くしているため、むしろ肌寒いくらいの温度である。アイスを食べるなら少しの間エアコンを切った方がいいんじゃないかと気を遣いかけて、すぐにそんな気遣いは不要だったと気がついた。彼は「夏なのに寒いのにアイス食べるってすごい贅沢じゃね!」と、一人で大変盛り上がっているところだった。
「あの時も、プリント渡しにっていうか、アイス食べに来てたようなもんだったな」
 小さなスプーンで一口一口丁寧に食べていくすがら、彼がふと思い出したように小さく零した。視線を彼へと向けた僕に、彼はとつとつと続きを話す。
「高校の時さ、プリント届けにきたらアイス出されたの。これ、手作りでしょ? お前のお母さんのバニラアイス、神がかっておいしいよ、まじで」
 真顔で言い放つ彼の瞳には、一点の曇りもなかった。いや、本当は曇っているのかもしれない。ただ僕の目が間違っているから本当のことを言っているように見えているだけで、本当は大嘘を吐いているのかもしれない。むしろ嘘だった方がありがたい。たかだか来客用のバニラアイスが遠因となって僕の平和な暗闇がかき乱される結果に至っただなんて、あまり、考えたくない帰結だった。
「食べる?」
 彼の方をぼんやりと見ながら思考の海に沈んでいたのを物欲しげにアイスを見る姿と勘違いされたらしい。一口分のアイスを載せたスプーンは、僕の口元まで寄せられていた。正直いらなかったけれど、ここまで近くにあっては断るのも難しい。案の定口を開いた瞬間にスプーンを差し込まれたので、仕方なしに黙ってスプーンを食むことにした。
 口の中に冷たさと甘さが平行して広がっていく。その後を追って、バニラエッセンスの匂いが、鼻の奥から抜けていった。
「どうよ」
「…………」
 どうもこうも。
 味そのものは当然ながらアイスクリームそのものであるにも関わらず、鼻から抜けていく匂いから連想されるものはアイスではなく、僕の部屋にある家具なのだ。なんだか口の中に家具を突っ込まれたような感じが残るばかりで、食べ物を食べている気分には少しもなれない。自然と渋面を作ってしまう僕に、彼はなぜか満面の笑みで「そうかそうか」とうなづいていた。
「そうだよな、部屋の匂いだよな」
 彼にとってはなにか満足できるポイントがあったのかもしれないが、ここは納得するよりも先にまずは謝ってもらいたいところである。バニラの匂いを嗅いでアイスよりも先に自分の部屋を思い出す身体になってしまったのは、一から十まで君が原因だというのに。
 ふと彼を見やった時、アイスを持つ手元が少し震えているのに気がついた。やはり16度設定の室内でアイスを食べるという行為には無茶があったようである。リモコンは彼の座る位置のやや左方に転がっていたが、真剣にアイスをつつく姿を見る限り、取ってくれと頼むよりも自分で取った方が早そうだ。床に片手をつく形でもう一方の手をリモコンに伸ばしたものの、もう少しのところで届かない。やはり横着はよくないと身体を起こしかけたところで、伸ばしていた方の手を誰かに取られた。誰かっていっても、部屋にいる人間は、僕と彼しかいないんだけど。
 さっきまでアイスを持っていたのかいやに冷たい彼の手は、僕の身体をリモコンとは反対の方向へ引き寄せた。長らくの経験で無抵抗不服従がすっかり板についた僕は、手を引かれるままに身体を起こして、彼の方へと引き倒される。転びかけたのであわててバランスを取り、落ち着いたところで顔を上げると、ばっちり彼と目が合った。
 15センチくらいの距離だった。
 心臓が止まったんじゃないかと思うくらいの驚きにとりあえずなにか文句をつけてやろうと口を開いたが、結局なにも言えずに終わった。彼に口を塞がれたためである。一方の彼も、特になにかを言うことはなかった。僕の口を塞ぐために、彼の口を使っていたためである。文句を言うために口を半開きにしていたせいで、舌までねじ込まれた。さっきまでバニラアイスを食べていただけのことはあって、さっき食べたバニラアイスとそう変わらないくらいのバニラっぽい匂いがするし温度も人間らしからぬ冷たさを保ったままになっているし、舌というよりはなにかもっとこう別のもののような印象を受けないでもないというか。
 ……なんだこれは。
 僕が状況を把握しきるよりも少し早く、僕の口は開放された。その後を追うように一体今なにが起こったのかはどうにか把握を終えられたのだが、一体どうしてこうなったのか、意図がなにひとつ分からない。「え、えーと、部屋っぽい?」とか意味不明なことを訊かれているが、返事をする気にもなれない。まあ確かに考えてみれば、部屋(に無理やりつけられたもの)と同じ匂いと冷たさに気を取られて、他人が過去に類を見ないほどの距離まで接近していた割には、あんまり吐き気や何かを覚える暇がなかった節はないじゃない。逆に言うと、そうでなかったら今頃君は僕の吐瀉物を味わうことになっていたんじゃないかなアハハハハ。
「……なんか言ってよ」
 なんかって言われたって僕も困る。
 前髪越しに窺い見た彼は、ひどく居た堪れなさそうな表情をして、床に落とした視線を所在なさ気にうろつかせていた。これはひょっとして照れているのだろうか。え、自分でやっておいて、君が照れるの? 居た堪れないのも照れたいのも君じゃなくて僕だろう。なんなのこいつ。彼の反応を見たことで腹立たしい気持ちが沸々と湧き上がってくるが、しかしそれと並行して一つの大きな謎を解くことができた。かれこれ年単位の付き合いになってしまったが、事ここに至って、ようやく彼の意図を掴めた気がする。
 どうやら彼は、僕を女だと勘違いしているらしい。
 男だと理解されていたら、こんなことをされるいわれがない。なるほどそう思って今までのことを考えれば、多少は説明のつく事項も増えるように思えた。やりたい盛りにちょっと親しげにすればすぐ落とせそうな引きこもり女を狙ってみたということなのだろう――それにしても、いくらなんでも相手の性別をうっかり間違えることがあるなんて考えたこともなかった。やけにフレンドリーだから彼は何がしかの勘違いをしているんだろうなあとは思っていたが、ここまで来ると勘違いを越えて人違いもいいところだ。人間の記憶力って恐ろしい。曖昧にも程がある。第一僕の言動に女性と勘違いできるようなものはなかったはずなのに、なにが彼を勘違いさせてしまったんだろうか。声もそんなに高くないし、女子の制服を着て登校していた覚えもないんだけど。
 いずれにせよ、残念ながら僕は男性である。彼には真実を伝えなければならない。ここで問題になってくるのは、僕が今までの人生で一度も「実は僕、男なんだ」と口にした経験がないことだ。そのままストレートに伝えてしまっても良いものか。遠回しに伝えるにしても、一体どういう会話を重ねれば僕の性別を悟らせることができるのだろう。何しろ相手は彼なのだ。どんなに懇切丁寧に伝えたところで、「あはは何それおもしろーい」と笑われておしまいになってしまいかねない。僕は色々と考えを巡らした挙句、きっかり三分の沈黙を破って、いつも通りに口を開いた。
「あの鳥は、」
「……鳥?」
「あの鳥は墜落するのが好きだったから何度も何度も窓から飛び降りたのにいつだって羽が勝手に動いて落ちることが出来なかったんだよだからぼくはその鳥の羽を」
「それ、この状況と関係なくない」
 仕方ないじゃないか、なにを言っても無駄な気がしてきたんだから。
「……いやほんと、面白いな、お前」
 噛み締めるようにしみじみと言う彼の声が不愉快で、僕はそっと視線を落とした。つくづく不愉快になることばかり言う舌である。口の中に彼の舌があった時、あの舌を噛み千切ってやればよかった。
 万が一にも次があったら躊躇いなく噛み切ってやろうと決意して、僕は今度こそリモコンを取る。
 なんだか急に室温が上がった気がする。設定温度をもっと下げよう。再びアイスを食べ始めた彼が「ちょっと待って寒い!」と声を上げたが、構うものか。
 こんな奴、凍死してしまえばいいんだ。
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